「判例百選」掲載判決例その1

「紙幣事件」

東京高裁昭和61年12月25日判決(武居二郎裁判長)
昭和59年(行ケ)第251号審決取消請求事件【拒絶審決取消】
(無体例集18巻3号579頁、判時1242号110頁、判タ651号202頁)

◆別冊ジュリストNo.170(株式会社有斐閣)
【特許判例百選[第3版]2004年「22公序良俗の意義(2)」板倉集一評釈】
◆別冊ジュリストNo.209(株式会社有斐閣)
【特許判例百選[第4版]2012年「20公序良俗の意義」板倉集一評釈】
◆別冊ジュリストNo.244(株式会社有斐閣)
【特許判例百選[第5版]2019年「56技術的不利益を伴う発明」佐藤恵太評釈】

一言コメント  ☆ 特許庁審決は落第答案!

【事案の概要】

本件は、実用新案登録出願の拒絶審決に対する取消訴訟である。当所にとって初めての審決取消訴訟で、代理人は後藤憲秋単独であった。事件としては、「冗談じゃない、この理由はないよ…」という弁理士としての使命感(衝動)に基づくもので、依頼者に大きな費用負担をかけることはできす、ほとんど手弁当であった。

 要は、図示のように、紙幣の触覚による識別のために、表面に任意形状のパンチ孔を設けた紙幣の考案について、特許庁(審判)は、紙幣の寿命が著しく損なわれるから産業上利用することができる考案ではない(実用新案法第三条第一項柱書き違反)、また、第三者が本願考案を模倣する場合、刑法の違法行為(通貨の変造)をそそのかし公の秩序を害するおそれがある(実用新案法第四条違反)というのである。

 特許庁には申し訳ないが、特許庁の審決理由は落第答案である。発明(考案)の本質である「技術的思想の創作」とはそのように考えるものではないことは、一般的な教科書にも記載されている。初歩的な誤りである。裁判所は丁寧にその落第答案の誤りを諭している。特許制度の根源に関わる事案として、現在でも「判例百選」の改訂の判を重ねて(第3,4,5版)紹介されている。

なお、当時(昭和59年)紙幣変更がありお札のサイズが共通化され、本考案は主として盲人等の識別のためになされたものである(なお出願は昭和53年)。確かに通貨制度は国のものであるが、「お上が考えるから、下々は黙っていろ」といわんばかりの、大蔵(当時)忖度の上から目線の特許庁審決はいただけない。

【本願考案の要旨】

 本願考案の要旨は、以下のとおりである。図参照。
「表面に任意形状のパンチ孔(20)を、幅方向に二つ折りまたは長手方向に四つ折りした折り目(15)を避けて穿設したことを特徴とする紙幣(10)。」

■「紙幣事件」判決の紹介

【判決抄録/下線及び段落替えは筆者】

(東京高等裁判所)
昭和61年12月25日判決言渡

昭和59年(行ケ)第251号 審決取消請求事件

判   決

原       告   篠 田 喜 作
同訴訟代理人弁理士   後 藤 憲 秋
被       告   特許庁長官
同指定代理人        (略)

主   文

 特許庁が、昭和五九年九月一二日、同庁昭和五八年審判第一一八六八号事件についてした審決を取り消す。訴訟費用は、被告の負担とする。

事   実

第一 当事者の求めた裁判
 原告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、被告指定代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二 請求の原因
 原告訴訟代理人は、本訴請求の原因として、次のとおり述べた。
一 特許庁における手続の経緯
 原告は、昭和五三年七月七日、名称を「紙幣」とする考案(以下「本願考案」という。)について、実用新案登録出願(昭和五三年実用新案登録願第九三五八一号)をしたところ、昭和五八年三月一八日拒絶査定を受けたので、同年五月二五日これを不服として審判の請求(昭和五八年審判第一一八六八号事件)をしたが、昭和五九年九月一二日、「本件審判の請求は、成り立たない。」旨の審決(以下「本件審決」という。)があり、その謄本は、同年九月二六日原告に送達された。

二 本願考案の要旨
 表面に任意形状のパンチ孔を、幅方向に二つ折りまたは長手方向に四つ折りした折り目を避けて穿設したことを特徴とする紙幣。(別紙図面参照)(注:前掲)

三 本件審決理由の要点
 本願考案の要旨は、前項記載のとおりと認められるところ、当審が昭和五九年三月二日付で通知した拒絶理由は、次のとおりである。
1 一般に紙幣は、日常生活における取引の場で流通するものであり、長期間にわたつて使用に耐えるように特別の材質の用紙を選定して製造されていることは周知であるが、なおかつ、破損した場合には引き換えることが法律で規定されている(昭和一七年五月一日大蔵省令第三三号損傷日本銀行券引換規定)。本願考案は幅方向二つ折り又は長手方向四つ折りの折り目を避けて、任意形状のパンチ孔を穿設してなる紙幣に係り、これによつて触覚による識別を容易にし、同一サイズ、同一紙質により額面の異なる紙幣の製造を可能とする効果を奏すると主張するものである。なるほど、パンチ孔の穿設により、紙幣の識別の容易さなど主張のような効果を否定するものではないが、紙幣本来の使命である長期間の流通使用に耐えるという要求に対しては、パンチ孔を設けたということにより、その寿命が著しく損なわれるものと認められ、前述の効果にもかかわらず、使用上の実用性は極めて乏しいものになると解せざるを得ない。したがつて、かかる点より本願考案は、実用新案法第三条第一項柱書きにいう産業上利用することができる考案であるということができない
2 前項拒絶理由について、請求人(原告)は使用上耐久性の面においても、何ら従来の紙幣と異ならない旨主張することが考えられるが、現実の問題として通常の紙幣でも流通中に損傷することを考慮すると、その主張は裏付けのないものであることになり、仮に、その効果の立証をしようとすれば、刑法第一四八条及び第一四九条に規定される違法行為となる場合以外はほとんど不可能であるといわざるを得ない。しかも、紙幣の様式等が法律で規定されていること(日本銀行法第三三条参照)を併せ考えると、本願考案を実施することは事実上不可能に近いものというべく、また、善意の第三者が本願考案を模倣する場合、前記した違法行為をそそのかすことにもなりかねないことは明白である。してみれば、本願考案は、実用新案法第四条に規定する公の秩序を害するおそれがあるものと認められるから、実用新案登録を受けることができない。
(中略)

理   由

(争いのない事実)
一 本件に関する特許庁における手続の経緯、本願考案の要旨及び本件審決理由の要点が原告主張のとおりであることは、当事者間に争いがないところである。
(本件審決を取り消すべき事由の有無について)
二 本件審決は、実用新案法第三条第一項柱書き及び第四条の解釈を誤り、その結果、本願考案は実用新案法第三条第一項柱書きにいう産業上利用することができる考案であるということができず、かつ、実用新案法第四条に規定する公の秩序を害するおそれがあるから、実用新案登録を受けることができない旨の誤つた結論を導いたものであり、この点において、違法として取り消されるべきである。すなわち、

1 産業上の利用可能性について
 前記当事者間に争いのない本願考案の要旨並びに成立に争いのない甲第三号証(本願考案の願書並びに添付の明細書及び図面)及び第四号証(昭和五七年一〇月八日付手続補正書)を総合すれば、本願考案は、紙幣の構造に関する考案であつて、盲人でも容易に、かつ、正確に紙幣を識別することができるようにすると同時に、各金額で異なる紙幣のサイズ、紙質等の統一化を可能にすることを目的とし、他方、破損防止という点も考慮したうえ、前記本願考案の要旨(本願考案の実用新案登録請求の範囲の記載と同じ。)のとおりの構成を採用したもので、任意形状のパンチ孔を幅方向に二つ折り又は長手方向に四つ折りした折り目を避けて穿設する構成を採ることにより破損防止に資するとともに、盲人でもその触感覚により容易に、かつ、正確に紙幣を識別することができる等の所期の効果を奏し得るものと認められる。
 ところで、紙質を同一のものとする限り、パンチ孔を穿設した紙幣は、パンチ孔を穿設していない紙幣に比べて、耐久性という点で劣るという欠点を伴うであろうことは容易に予測し得るところであるが(この点は、原告も明らかに争わないところである。)、本願考案が、パンチ孔を穿設することにより、前認定のとおりの作用効果を奏する紙幣を提供することをその技術的課題とし、これを達成したものである以上、それなりに考案として意義があるものというべきであつて、本願考案に、耐久性の低下という欠点があるとしても、右の欠点が本願考案の実施を不可能にさせるほど重大である場合は別として、そうでない場合には、産業上利用することができる考案であることを否定することはできないものと解すべきである。
 そこで、この点について検討するに、被告も「穴あき紙幣の耐久性の低下を数値でもつて表現することは、そのパンチ孔の大きさ、数、位置等の条件が具体的でないこともあつて困難であるが、」と主張していることからも明らかなように、パンチ孔を穿設することによつて生じる耐久性の低下の程度は、紙質のほか、パンチ孔の大きさ、数、位置等の条件によつて異なるもので、それらの点を捨象して、紙幣識別のためのパンチ孔を穿設するということから、パンチ孔を穿設した紙幣が紙幣としての使用に耐えないほど耐久性が低下するものと直ちに断じることはできないところ、本願考案においては、パンチ孔を穿設することによつて生じる耐久性の低下を防止するため、前認定のとおりパンチ孔を穿設する位置を幅方向に二つ折り又は長手方向に四つ折りした折り目を避けた位置に設ける構成が採られており、このほか、右耐久性の低下の欠点は、例えば将来紙質を改善して、より丈夫な紙質のものを用いることにより、また、パンチ孔の大きさを盲人が指の触感覚によつて識別できる限度で小さくしたり、あるいは前掲甲第三号証及び第四号証中考案の詳細な説明の項の記載にあるように、パンチ孔の数を一又は複数個として少なくし、更には、パンチ孔の形状を工夫したりする等当業者にとつて自明と考えられる手段を付加することにより、あるいはまた、新旧紙幣の交換サイクルを早めたりすること等によつて解決又は減少させることが可能と考えられ、そうすることにより紙幣の耐久性を保持しつつ本願考案の長所である前認定の効果を奏し得るものと認めるのを相当とし、この認定を覆すに足りる証拠はない。
 また、紙幣にパンチ孔が穿設されれば、そうしたもののない紙幣に比べて、それだけ紙幣の識別がしやすくなるという効果があることは前認定のとおりであり、特に、数種類ある紙幣の紙質及び大きさを共通にする場合には、盲人のために識別マークを設けることが必要になるであろうことは容易に予測し得るところであつて、このことは、本願考案の実用新案登録出願後の昭和五九年一一月一日より発行された、縦の長さが統一された新紙幣の裏面に、従来の紙幣にはなかつた盲人の紙幣識別の便宜のための点字の凹凸マークが形成されているという当裁判所に顕著な事実からも窺い知ることができることである。
 更に、本願考案におけるパンチ孔は、盲人が紙幣を識別することができるために必要、かつ、十分な大きさで足りるものであつて、そうしたパンチ孔の存在により正常人が偽造紙幣を真貨と誤認する危険が増大するとは考えられない。
 以上の事実によれば、本件審決の本願考案は産業上利用することができる考案に当たらない旨の認定判断は誤りであるといわざるを得ない。
 被告は、紙幣は、パンチ孔の存在によつて流通中に加速度的に破損され、ちぎれやすくなる等重大な耐久性の低下をもたらすもので、このことは、紙幣として別途考慮されれば足りるといつた単純な欠点ではなくて、本質的な問題であり、その考案の実施をも不可能にさせるほどに重大なものである旨主張するが、紙幣にとつて耐久性を保持することが本質的な要請であるとしても、パンチ孔の穿設によつて生じる耐久性の低下という欠点も、前認定のとおりの手段を講じることによつてある程度防止することができ、その結果、前認定の優れた作用効果を奏し得るものである以上、パンチ孔を穿設することが本願考案の実施を不可能にさせるほどに重大なものとは到底いい難いから、被告の右主張は、採用することができない。また、被告は、紙幣の耐久性の低下の防止について開示するところのない本願考案に係る紙幣に技術的価値はない旨主張するが、本願考案のもつ耐久性の低下という欠点は、前認定のとおり、孔の穿設位置を本願考案の要旨記載の構成とすることにより緩和されるほかに、パンチ孔を穿設した紙幣を造幣する場合に、その破損を防止するために当然考えるであろう自明の手段等を採用することによつて解決又は減少させることができるのであるから、明細書にその点が逐一記載されていないとしても、そのことから本願考案が実施できないものとはいい得ず、したがつて、右主張も採用の限りでない。
 更に、被告は、紙幣は流通過程においてしわになりやすいもので、パンチ孔による識別機能が低下することは明らかであり、本来それほど評価できない盲人に対する識別機能がますます低下してしまう旨主張するが、本願考案の奏する作用効果は前認定のとおりであり、また、紙幣にしわができることにより、パンチ孔による識別機能の低下があるとしても、そうした機能の低下は、紙幣の耐久性が著しく低下しないという要請を充足する範囲内においてパンチ孔の個数、形状、位置等を工夫することにより、また、しわにより識別機能の低下した紙幣の回収を、破損した紙幣の回収と同様に早くする等の手段を採用することにより、ある程度防止することができることを考えると、右被告主張の点も本願考案をもつて実施不可能なものとするに足りず、したがつて、被告の右主張も採用できない。

2 公序違反について
 産業上利用することができる考案であつても、それが公の秩序を害するおそれがある場合には、実用新案登録を受けることができないことは、実用新案法第四条の規定するところであるが、右に公の秩序を害するおそれがある考案とは、考案の本来の目的が公の秩序を害するおそれがあり、したがつてその目的にそう実施が必然的に公の秩序を害するおそれのある考案をいうものと解すべきところ、前認定の本願考案の目的及び考案の内容に徴すると、本願考案が叙上の観点から公の秩序を害するものといい得ないことは明らかである
 被告は、本願考案に係る紙幣は、本願考案の明細書及び図面に記載された技術によつては、現実的意味をもつて実施できる可能性は事実上ないのであるから、常識をもつて判断すれば、現在の社会生活、経済活動の基礎をなす通貨として、国がそのような紙幣を採用することの可能性は考えられず、また、一般私人がこのような紙幣の考案を適法に実施することができないこともいうまでもないところ、このような事情のもとにある本願考案にもし残された意味があるとすれば、それは、一般私人が行えば違法となる真貨である紙幣にパンチ孔を穿設するという行為、すなわち、犯罪行為をそそのかすこと以外に有り得ない旨主張するが、実施不能であることと公序違反となることとは直接結びつくものでないばかりか、本願考案は、前認定説示のとおり産業上利用できる考案というべきであるから、本願考案が国によつて実施される可能性が将来において全くないとはいい難いし、仮に、本願考案がヒントになつて、パンチ孔の穿設していない紙幣に孔を穿つ者がいるとしても、そのことと本願考案が公序に反するか否かとは全く別問題であつて、被告の右主張は、採用するに由ない

 そうであるとすれば、本願考案は、産業上利用することができる考案であつて、かつ、公序に反するものではなく、したがつて、本願考案をもつて産業上利用することができず、かつ、公序に反するとした本件審決の認定判断は、実用新案法第三条一項柱書き及び同法第四条の解釈適用を誤つた違法があるものというべく、本件審決は取消しを免れない。

(結語)
三 以上のとおりであるから、その主張の点に判断を誤つた違法があることを理由に、本件審決の取消しを求める原告の本訴請求は、理由があるものということができる。よつて、これを認容することとし、訴訟費用の負担について、行政事件訴訟法第七条及び民事訴訟法第八九条の規定を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 武居二郎 高山晨 川島貴志郎)